側弯症

側弯症体験記⑦ 退院後 

1カ月の入院後は、1週間後、2週間後、1カ月後の検診・・・というように
定期的な検診はあったものの、順調な経過でした。
痛みも特に何もなかったです。

あれだけ嫌だった自分のレントゲンも直視出来るようになりました。
私の背骨には太くて異質なボルトが刺さっていましたが

「こんな感じで固定されているんだ、死んで焼いたら骨の他にボルトも残って、
周りの人はびっくりするかな」

ということまで考えられるくらい、心に余裕がありました。

両親が気にしていた傷跡もそこまで目立つものではなかったです。
自分で触るとツルっとした線があるかな、と思うくらいです。

肋骨のでっぱりは若干残りましたが、自分としては気にならない程度でした。
他の人がよく見ると出っ張っているかな、とわかるくらい。

手術後に制限されたことはぶつかり合うようなスポーツくらいです。
アメフトや剣道のような。でも運動音痴だった私には関係のないことでした。
それ以外は他の人と変わらない生活が可能でした。

一度海外に行った時の金属検査で引っかかったことがありましたが、
背骨の手術をしました~と説明したところ、すんなり通してくれました。

あと腋脱毛しようとカウンセリングに行ったところ、断られました・・・。
ボルトの金属が、脱毛の時に反応して熱くなる可能性があるのだとか。

手術後の私は、性格が180度変わりました。外の自然に触れることが好きになりました。
人はひとりで生きていけない、人のつながりが大切だということを思い、行動しました。

手術は大変でしたが、背骨の湾曲がよくなり、周りの目を気にしなくてもよくなった喜び
コルセットから解放された喜びで楽しい日々を過ごしました。

手術をしてよかったと心から思いました。

高校3年生になった頃、先生から

「経過も問題ないため、今回が最後の診察です。これで終診です。」というお言葉が。

手術前、大学病院の通院をやめた時に聞いた冷たい声ではなく、
今回は笑顔でとても優しい声だったことを覚えています。

季節はちょうど春でした。病院の売店でnon-noを買いました。
側弯を気にして、ファッションに気を遣うということを避けていた私ですが、
勇気を出して、一歩踏み出した瞬間でした。
私の人生の一つの節目の日としてよく覚えています。

それから数年たち、のぶ夫と出会いました。
側弯症のことを受け入れてくれるか不安でしたが、「気になる?」と聞いたところ
「別に」と言ってくれました。ほっとしました。
それから結婚し、最近出産しました。

側弯症の手術は私にとって、湾曲の改善だけでなく、心の成長にもなりました。
当時は辛い思いをしましたが、今思えばこの体験は私の人生において、
よい転機になったと思っています。

「生きている」という実感は手術を受ける前と後では大きく異なります。
生きるということの有難さ、自分の身体を自由に動かせる嬉しさ、
人の支えの大切さ、いろんなことを学びました。

長くなりましたが、この体験記が側弯症で悩んでいる方、
側弯症のお子さんをお持ちの親御さんのご参考になれば幸いです。


側弯症体験記⑥ リハビリと心の成長

大部屋の真ん中のベッドに移った頃から、リハビリがはじまりました。

手術後1週間は寝たきりで過ごしたため、急に立って歩くのは筋肉に負担がかかる。
そのため、リハビリをして徐々に慣らしていこうというものでした。
またこの頃には膀胱の管も抜かれ、排泄も自分の意志で、ベッドの上で行うようになりました。

しかし、このベッドの上での排泄はとても嫌でした。
大部屋でみんながいる中で(もちろんカーテンはしていますが)排泄すること。
失敗してベッドを汚してしまうこともしばしばでした。

この時に自分はなんてちっぽけな存在なんだろうと思いました。
排泄さえも一人で満足にできない。

今まで当たり前に出来ていたことが、人の支えなしには出来なくなることの苦痛。
人としてのプライドが一気に崩れ去りました。
私は一人でなんでも出来る人間だと振る舞っていたことへのおこがましさ・・・

今思えば大げさにも思いますが、中学生の私にとってはそれだけショッキングな出来事でした。
人はひとりでは生きていけない。精神的な支えの意味ではなく、肉体的な意味でも。
その時私は身をもって実感しました。

またこの時に思ったのは、母への感謝です。
車で片道1時間30分もかかる道のりを、母は1カ月の入院の間、
毎日欠かさずお見舞いに来てくれました。とても大変だったと思います。

母の私に対する思いがこれでもか、というほど伝わってきました。
でも私は私で、母が毎日のお見舞いのせいで体調を崩したり、
母が事故にでもあったらどうしようと不安だったことを覚えています。

自分で言うのは恥ずかしいですが、相思相愛の親子関係だったと思います。
私と娘の親子関係もそうなればいいのですが。

リハビリもはじまり、排泄もトイレで出来るようになってくると
気力がわいてきて、今までは見なかったテレビを見たり
漫画を読んだりすることも出来るようになりました。
そして早く帰りたいとも。

トイレまでは車いすで行っていたのですが、早く回復したいという思いから
車いすには座らずに、歩いて押してベッドまで戻ったことがあります。
歩けるじゃん!!すごいね!!と褒められるかと思いましたが、逆にとても怒られました。

血圧を測ると、とても下がっていたようです。
私の気力の戻りとは裏腹に、身体がついていってないことを思い知らされました。
これもはじめての体験で印象的でした。私の意志とは別の、身体の意志を知りました。

それからの回復は順調でした。
私は予定通り1カ月の入院で側弯症の手術を終えることが出来ました。


側弯症体験記⑤ 手術後、一番つらい時

手術後、目が覚めたら個室にいました。
部屋が暗く、夜中であることがわかりました。
扉が開けっ放しになっていて、廊下の赤いライトがぼんやり灯っていました。

そして自分の身体にいろんなものが刺さっているな~と感じました。

点滴、呼吸補助器、なんだかよくわからないけれど喉のあたりにも管が通っている。
考えると気持ち悪くなりそうだったので、何も考えないようにしました。

まもなく看護婦さんが来て、手術が無事に終わったことを教えてくれました。
また寝返りは自分では出来ないので、したくなったらナースコールすること、とも。

やたら自分の身体が熱く感じ、寝返りなんて打ちたくなるのかなと思いましたが
とりあえず、はい、と返事をしました。

しかし看護婦さんが帰ってしばらくすると、麻酔が切れてきたのか
全身の倦怠感、ほてりから、だんだん痛みに変わってきました。
いてもたってもいられない、強い痛みでした。

ナースコールをして寝返り(横向き)にしていただくと幾分か楽になりましたが
またしばらくすると辛くてナースコール、体の向きを変えていただいて・・・

というのを繰り返しました。この時が一番肉体的に辛かったです。

翌日に両親が見舞いに来ました。この頃には痛みはマシになっていましたが
何もする気にはなれず、ただボーっとしていました。

そんな私に父はテレビをレンタルする!!と言い出しました。
私は何もする気になれなかったし、テレビのスイッチを入れるのも億劫だったので
借りても見ないし、いらないと言ったのですが、がんとして聞きませんでした。

私はただでさえ個室は料金が高いのだから、
テレビのレンタルなんてお金をかけなくていい、と思ったのですが

父はきっと痛々しい姿の娘に何かをしたいと思ってくれたんだと思います。
その思いに負けてテレビはレンタルしました。
でもやっぱり見る気にはなれませんでした。

夜になると、大部屋の時には聞こえなかった叫び声が聞こえてきました。
年配の男性の声で「助けてくれー」、「おーい」・・・怖いというより
中学生の私が耐えているのだから、おじさんも我慢しなよ、と思ったのを覚えています。
そして叫べるだけ、元気じゃんとも。

時々看護婦さんに怒られている声も聞こえました。

入院生活は今まで私にとって、とても刺激的な日々でした。

手術後しばらくは食事(栄養)は点滴から、排泄も管で行う、
何かをしようにも腕に点滴が刺さっていてする気が萎える。

すべてが入院前に想像していた以上のものでした。

痛みも、しんどさも、閉塞感も。

そしてあの独特の静けさ。
会話やテレビの音も聞こえてくるけれど、根本にある静寂。
日常生活している時よりも近くに感じる「死」の気配。

でも当時の私は耐えるしかなかったです。

しばらくすると喉の管も外され、食事が取れるようになり
大部屋に移動しました。今度は窓側ではなく、真ん中のベッドでした。


側弯症体験記④ 入院から手術まで

1カ月の入院の内訳は、最初の1週間は検査入院、手術。
手術後1週間は寝たきり。
以降はリハビリというものでした。

検査入院期間中は、大部屋で窓側のベッドでした。
それまで親元を離れて宿泊したことのない私は、ほんの少し寂しい思いをしました。

そんな私でしたが、そこで初めて自然の美しさに触れました。

窓から見える月明かりが、とてもとてもきれいだったのです。
そしてなんて明るいんだろう。

インドアな性格で、自然に触れるよりゲーム!漫画!という子供だった私は
恥ずかしい話、まじまじと月を見たことがありませんでした。

月の美しさを讃える詩や大人の心情がわからない子供でした。
それよりもゲームの方が面白いでしょって感じで。

でもその日はゲームボーイをする気になれず。

月明かりと、月明かりが照らす病院の白い壁を眺めて、
生まれて初めて自然のものに感動しました。

検査入院期間は心電図や採血やら、一通りの検査
麻酔医との打ち合わせ等で、忙しく過ごしました。

そして検査最終日、半日だけ外に出ることを許されました。

当初予定していなかったのですが、思いの他
検査がスムーズに終わったため外出を許されました。

私としては外出したくなかったです。

家族とまた半日過ごすことで、病院に帰りたくないって思うに決まっています。
案の定、半日の外出は私を励まそうと明るく振る舞う両親に
そっけなくあたる私、といった感じでした。

そっけなくしないと泣きそうでした。両親もそれが伝わったのか
お互いがお互いを気遣う変なテンションで過ごしました。

手術の日、私は全身麻酔だったのであまり覚えていませんが
腰の部分に大きな麻酔の注射を打って
次に目が覚めたのが手術前。

やたら涼しい部屋で「手術前に目が覚めちゃったよ」と思っていたら
看護婦さんが「これから手術ですよー」と言ってから記憶がないです。

次に起きた時は真夜中の病室、大部屋の窓側のベッドではなく、個室で寝ていました。
手術は成功、しかし当初予定していたよりも長い時間、約9時間かかりました。

この手術では背骨をボルトで固定した後、患者を起こして手足が動くことを確認して
背中を閉じる、という手順だったらしいのですが、私がなかなか起きず長引いたみたいです。

私は全然覚えていないんですが。あと手術室に向かう途中、
涙が一筋流れたということも知りました。

なんだかそんな姿を見せてしまって、両親に申し訳ないなと思いました。

手術後、真夜中の病室で目が覚めました。それからしばらくとても辛い思いをしました。


側弯症体験記③ さまざまな治療と手術

病院巡りの他に、ハリ治療、お灸治療にも行きました。
でも地味に痛かったので、通うことはありませんでした。

最終的に、近所にあった無痛治療院に通い始めました。

そこは腰痛等を無痛で治療できる医院で、側弯症にも効果があるとのことで通い始めました。
マンションの一室にある医院で先生も優しく、私は好んで通っていました。

いま思えばここに通うことが最後の選択でした。
病院でのコルセット治療もやめ、もっと進行すれば手術という中で
私も家族もこの治療にかけていました。

お金もずいぶんかかっていたと思います。
けれど、私の場合は効果が見られませんでした。

そして私は大学病院に戻りました。

以前お世話になった先生は「それ見たことか!!」という素振りは全く見せずに、
私たちを迎えてくださいました。

手術は避けたいという親の気持ちがわかる先生だったのだと思います。

そして丁寧な口調で、手術しかないことを私たちに告げました。

これ以上進行すれば、内臓が傷つく恐れがあるとのことでした。

手術は私が中学1年の春休みに行うことが決まりました。

入院は1カ月。
全身麻酔。
背骨をまっすぐにボルトで固定する。
背骨を扱う手術のため、5%の確率で植物人間になる可能性がある。

植物人間。

今まで当たり前に出来ていたことが出来なくなる。

中学に入学してこれからしたいことはたくさんあって
当たり前にこれからも出来ると思っていたけれど

もしかしたら、もうそれらは全部、全部
出来なくなってしまうかもしれない。

そうか、そうなのか・・・そう考えると涙が止まりませんでした。

当時の私は植物人間=死と考えていました。幸い今まで事故にあったことも
命にかかわる病気になったこともなく、死に直面したことのなかった私が
はじめて身近に感じた「死」でした。

実感がわかないけれど、私の人生はもしかしたらあと少しで終わるのかもしれない。
何かを成し遂げられただろうか。

両親は私のことをとても大切にしてくれているし、私が植物人間になったら
悲しむだろうな、かわいそうだな。お金もとってもかかるんだろうな。
何だか申し訳ないな。いろんな思いが錯綜していました。

でももう後戻りできない状況でした。

私はこの状況を受け入れられなくても、手術はする。

大丈夫だ、なんとかなる と思う日と
ダメかもしれない と思う日を

繰り返し、どういう心境で「手術」を迎えればいいのかわからないまま
手術の日を迎えました。


側弯症体験記② 通院をやめた日

コルセット治療で成果が出ないため、大学病院の先生から
「手術」を視野に入れた治療に入ると説明がありました。

「手術」という言葉は私よりも両親に深い衝撃を与えたようです。
この頃の私はいまいちピンと来ていませんでした。

両親はいろいろと質問していました。
中でも印象的だったのは「手術の傷はどのくらい残るのでしょうか」という質問です。

そんなのどうでもいいと当時の私は思ったのですが、いま考えれば
嫁入り前の娘の身体に手術の跡が残るのはかわいそう、と両親は思ったのかもしれません。
親の心、子知らず。

そこからの経緯は記憶が曖昧です。
私が「もうこれ以上コルセット治療は耐えられない」と言ったか
両親が「手術はなんとか回避させたい」と言ったか
あるいは両方か

覚えていませんが、とにかく大学病院での治療は終わりました。
というか終わらせました。

両親が大学病院の先生に「違う治療を試したい」と申し出ました。
先生はあくまで、やわらかい口調ではありましたが、両親を説得していました。

「装具以外での治療で成果が出た例を僕は見たことない、このまま装具で治療を続けましょう。」

でも最終的には先生が折れ、「わかりました。これで終診です。」とおっしゃいました。

その「終診」という響きが私にとってとても冷たく、
先生から「見放された」感じを受けました。

その時の先生の表情、声の感じ、姿勢は今でも鮮明に覚えています。

いま思えば先生にとっても、治そうとしていた患者があなたの治療では見込みがない、
と言わんばかりに違う治療を試したいというのだから、冷たい言葉にもなると思います。

余談ですが、自宅から大学病院までは車で片道1時間30分かかります。
運転手にとってはなかなかハードな道のりです。
でも私にとっては(主に)母と2人の時間を共有できるこの時間が好きでした。
(そして病院に着くと、気分が下がる)

でも終診を告げられたこの日、なんとなく帰りの車中も暗い気分だったことを覚えています。
それくらいこの日は私にとって印象的でした。

その日から、いろいろな場所に出向きました。まず別の病院巡りです。
手術の他の治療は考えられないのか、知り合いのお医者さんを尋ねました。

病院に行くたび、レントゲン撮影をし、診療室に張り出された自分の背骨を見て
なんと醜いのだろうと目を逸らし、先生も「これは重度ですね・・・」と言葉にする。

これが1セット。

親としては、何としても手術を避けたくて、いろんな可能性を知りたくて受診させている。
私のためを思ってだとわかっていたから、私も何も言えませんでしたが、
この病院巡りも私の心を深く傷つけていました。
子の心、親知らず。

やはり私の進行はひどくて、手術以外に解決はないんじゃないか、そういう思いが強くなる一方でした。



側弯症体験記① はじめに

私(ほそ子)は側弯症です。
背骨がS字に曲がり、肋骨も左右で大きさが違います。
十数年前に手術をし、今は完治しています。

以下から体験記ですが、お伝えしたいことはひとつです。
私の心の成長は側弯症で得られたものであるということです。

側弯症は良くも悪くも私の人生観を変えました。

特に5%の確率で植物人間になると言われた手術は、
私に生きるという実感を与えてくれました。

もちろん当時は辛いことが多く、そんなポジティブには全然考えられなかったです。

・私は周りからどう見られているか、

・好きな服が着られない

・将来の伴侶はこの背中を受け入れてくれるか

こうした不安ばかりが渦巻き、とてもネガティブでした。
お風呂の時、鏡を見る時に、自分の身体と向き合わなければいけないことが、
とてもとても嫌でした。

それでも側弯症と向き合うことで、私の心は確実に成長しました。
そのことを残しておきたくて、体験記として記します。

また娘が生まれた今、彼女も側弯症になる可能性があります。
その時に、彼女の心に寄り添う母親でいられるよう、
当時の思いを出来るだけ、思い出して書いていきたいと思います。

そしてもし、この個人的な体験記が、側弯症の方、
その親御様の目にとまり、ご参考となれば幸いです。

<おおまかな治療歴>
 小学3年生 大学病院にてコルセット治療開始
 小学5年生 大学病院での治療を中断 無痛治療、ハリ治療、お灸治療を実施
 中学1年生 大学病院にて手術を実施 
 高校3年生 大学病院の通院を終了、完治

私の側弯症が発覚したのは小学3年生の時、お風呂の際に母親が気づきました。
私の側弯症は先天的なものではなく、後天的なものでした。
それから近くの整形外科を受診、そこで紹介された大学病院に転院しました。

最初は装具(コルセット)での治療です。小学3年生~小学6年生までの間続けました。
寝るときと運動の際は外し、週一回は一日中外してよいというルールでした。

コルセットの着用は私にとって苦痛でした。コルセットに肋骨の
出っぱっているところが当たり、あざになることもありましたし
(あたらないと矯正にならないので当たり前ですが・・・)

多感な時期だったため人とは違うコルセットをしているのを恥ずかしく感じていました。

体育の時間は取り外すため、まわりのクラスメイトに内緒というわけにもいかず・・・
幸いにもよいクラスメイトに恵まれ、それが原因で冷やかされたりすることはなかったです。
体育が終わった後、コルセットをはめなければいけないのですが、
自分でははめられないのでクラスメイトに頼んでいました。
みんな心よく引き受けてくれました。

まわりから見ればそこまで特別視していなかったのだと思いますが、
それでも私はコルセットをしていることが嫌でたまりませんでした。

コルセット治療を続けていましたが、私の場合はそれでもよくならず、
傾斜はひどくなる一方でした。